風化による錆と、外力による破壊の傷跡が混在する建物のなか。 僕を見た君がふわりと笑って言った言葉。 来てくれたんだね。 僕は泣いた。 泣きながら、僕は君との約束を果たす。 降り注ぐ光の粒は全て消え、明るかった建物の中が闇につつまれる。 ありがとう。 君は確かに、そう言った。 「あなたには未来がない」 そう言って彼女に振られたのは高校三年生の秋の夕暮れだった。 あんまりな別れ文句だったが、無理もない、とユキヒトは考えていた。 自分を振り返ってみれば分かる。 人生の分岐点、未来への分かれ道。そんな高校三年生にもなっているというのに、ユキヒトには、目標もなければ、夢もなかった。大きな目的が決まらないにしても、まだ早いと言ってくれる大人はいるだろうが、単純な目標として、行きたい大学すら考えてない。 彼女を、・・・。いや、既に、元、彼女になっているが、幸せにする力は、ユキヒトにはないのだろう。 今も、もちろん、将来的にも。 別れを切り出す理由としてはいささか若者離れしているのではないかとも思う。未来がない。未来が見えない。そう言われた。 彼女は未来を大切にした。 10代は、今を楽しむことが最も大切なことで、まだ見ぬ将来のことを考えてしまうなんて、早計ではないだろうかとユキヒトは思う。 が、思えば現実的で未来志向の彼女だった。 行きたい大学見つけて、高校二年生から受験勉強を始めてみたり。 明日学食のAランチを食べたいから、今日は安いうどんですましてみたり。 高校で一人くらい彼氏がいないと、大学入ってから恥ずかしいから、無難に浮気しなさそうな同級生と付き合ってみたり・・・。 そんなことを本人が言っていたかは定かではないが、ユキヒトはそんな風に疑っていたのかもしれない。 冷静に分析してから、ふと自虐的な笑みを浮かべる。絶望的ながらも、どこか人ごとのように考えていた自分に向けての冷笑だった。 気分を変えるように、空を見上げた。 学校帰りの赤い空。 元彼女とどう別れたのか覚えていないが、気づけばひとりでとぼとぼ家路についていた。 見えるものは、真っ赤に燃える空と、代わり映えのない街と、いつもの、高い、高い塔。 ユキヒトの住むこの街は、一言で言ってしまえば、特記すべきことのない街だ。 特産品は、どこでも作れそうなまんじゅう。 名物は、ありがちな果物ひとつ。 コンピューターのネジの一部分だけが、他の都市にない特殊な製法のものらしいが、地元の人間と業界人以外知らない。 そんな、なんてことのない中小都市だが、ひとつだけ変わった建造物がある。 西の方角、池の向こう。 夕焼け空にはシルエットになる、暗くて、高い、高い塔。 「廃墟の塔」 「壊れた塔」 「幽霊タワー」 呼び方は人それぞれだが、共通した認識は、ボロくて古くて、怖い。それだけだった。 それが何の建物なのか、誰が管理しているのか。 調べてみたら分かるのだろうが、そんなことは多分誰も考えたことはないんじゃないのだろうか。 言われて気づくほどの認識。そこにあってなんの違和感もなく、何も感じないもの。空気のような存在。それは、それぐらい当たり前なもので、山や川があるのと同じ、そこにあって当然のものだった。 暗くて不気味で、誰もいない塔。普通の神経の街人は、まずそこに立ち入ろうとしない。 だが、ユキヒトは思った。今の自分にこそ、そこが必要だった。一緒に帰る相手をなくし、孤独を紛らわすためにユキヒトは一人になりたかった。 知らず知らず、ユキヒトの足は塔の方へ向いていた。 信号がだんだん減っていき、かろうじて舗装された小道を歩いていく。誰も通らないせいか、アスファルトはところどころ苔むしている。池からの湿気を帯びた風を感じながら、ユキヒトは、のんびりと歩く。 だいぶ日も傾いてきた。 数少ない街灯が、チカチカと灯る。 涼しい風を浴びながら、ユキヒトは幽霊塔を目指す。かなり近づいてきた。 ユキヒトはふと塔を仰ぎ見る。 誰もいない、暗い暗い廃墟。 のはずだったが。 「・・・ん?」 小さな光が、建物の真ん中あたりに煌めいた気がした。 なんだろうかとユキヒトは思った。 この不思議な塔は、そうは言っても市の管理する管轄である。壊れかけたこの塔は危険なので、不用意に立ち入らないように、敷地内には南京錠付きのチェーンを張ってあるはずだ。 普段、誰も入ることができないはずなのに。 「気のせいかな」 ユキヒトは、疑問を片付けて、前へと進んだ。 たどり着いた、チェーンの張った入口。壊れた塔が、沈みかけた夕日を背に、佇んでいる。 「さてと」 少しの高揚感がユキヒトを包む。 慣れた手つきで、南京錠の3ケタの番号を合わせる。錆の抵抗だけを残して鍵が開く。 巻き付いたチェーンを丁寧に外し、扉を開け、中へと足を踏み入れる。 「カビ臭っ! あと、変なニオイもする・・・気がする」 一瞬顔をしかめて、数歩歩く。 迷いのない足取りで、入口近くの棚の2段目から懐中電灯を取り出した。 「よし。電池は・・・まだあるな」 何度かスイッチを点けたり消したりして確認する。一瞬のまたたきの後、しっかりとした光の筋が、暗闇に浮かぶ。 壊れた電灯。傾いた金属製の棚。黒ずんだ床には、焦げたような跡があり、踏むとザラザラした。 ほこり臭い道筋を光で確認し、前へ進む。 冷たくて無機質で、暗くて懐かしい場所だった。 この幽霊塔は、ユキヒトの子供時代の遊び場だった。 南京錠の開け方は知っていた。 当時からすでに廃墟だったここは、ユキヒトのお気に入りの場所で、朝から晩までここにいたこともある。 階段は確か、右奥。 ゆっくりと、しっかりと進む。 階段は、薄い金属の音をさせて軋む。もうかなり古いのだろう。 踊り場を回って、暗闇を振り返る。 生命感のない薄暗闇が広がっている。2階に足を踏み入れる。 ここ以外では見たことのない、不可思議に大きな謎の機械が、錆びた鉄に囲まれて沈黙している。 機械と言っても、実際に見たことはない。なにしろ、鉄の壁に囲まれている。ただ、壁の周囲にツマミやら、メーターやらがたくさんついているから、勝手に中身が機械だと思っていただけだ。 「あれ・・・?」 昔はなかった掌ほどの亀裂が、機械の入った鉄の壁にあいていた。 風化のせいか、はたまたどこかの輩が入って壊したのか。 ともあれ、これで中身を知ることができる。 ユキヒトは、未知のものへの期待で胸が膨らんだ。 「手、入るかな」 とりあえず、一番入れやすそうな手から挑戦してみる。 少々手を入れたくらいでは何も触れず、肩まで穴に押し込んでみる。 そこには、何か丸みを帯びたものを象った布の感触があった。 「なんだろう・・・」 感触だけでは想像できず、ユキヒトは目でみる作戦に切り替えた。 穴に、懐中電灯の光を入れた。 瞬間。 「うわ・・・!!」 穴の中から、膨大な光があたりに降り注いだ。 「な、なんだ!?」 暗闇に慣れた目に、圧倒的な光が刺さる。目をつぶって、驚きをやり過ごそうとする。 (さっき、外から見えた光はこれだったのか・・・!?) 外からでも見えた光。中にいたら、さぞかし眩しいことだろう。まるで、こんな風に。 まぶたを超えて光は網膜を焼く。 世界の全てが真っ白だった。 だがそれでも目は慣れたるのか、それとも光が弱まったのか、ユキヒトは腕で目を覆いながら、薄い目を開けることに成功した。 「・・・ん?」 なんだこれは。 いや。 「どこだ、ここは・・・?」 暗い暗い手探りの世界は、いきなり、青と白の世界になった。 薄い青の海が見える、高い丘。 空は白く、眩しく輝く太陽が、海と空と、ユキヒトを照らす。 「ワ、ワープゾーン?」 状況が理解できず、オロオロとしながら、よくある本に書かれた、今の状況を示す言葉をつぶやいた。 「わーぷ?」 突然、後ろから控えめな声がした。飛び上がるほど驚いて、ユキヒトは妙な声を出しながら振り返る。 白い、ふわふわのワンピースを着た女の子が、大きな目をぱちくりさせていた。 「あ、えと、ごめんなさい」 「こちらこそ、ごめんなさい。驚かせてしまいました」 女の子は照れたようにふわりと笑って、ユキヒトを優しく見つめた。 「あなたは誰ですか?」 「僕、は、ユキヒトって言います」 「ユキヒト、さん」 彼女は、嬉しそうに、どこか儚げに、その名前を噛み締めた。 「君は?」 「私ですか?私の名前は・・・」 白いワンピースが風に揺られ、太陽の光を照り返す。控えめに裾を抑えながら、その少女は言った。 「私は、アオイ。アオイっていいます。よろしくお願いしますね」 その名を聞いた時、何故かユキヒトは、とても嬉しかった。 なんだか退廃的なイメージの文章を書いてみたくなって初めて見ました。「壊れた世界で」。略してセカコワ(笑) 珍しく、結末まで考えてはいるものの、時間との兼ね合いもあって最後までいけるかわかりませんが・・・ とりあえずのところ、ここまで読んで頂いてありがとうございました。 -2014 10 10 アザナ- |