第1話** この世界で、彼は天才だった。 彼に迫る強大な魔導の力の塊を、彼はいとも簡単に跳ね除けた。 大きな風が吹き抜ける。太陽は沈み行き、闇が迫る直前の出来事だった。 「ナッツ。貴様…」 敵は、背丈が2m近い大男だった。ああ、迫力あるなあ。私にも身長があればなあ。と、ぼんやりナッツは考えた。 「すみません。あなたには申し訳ありませんが、私にも守るものがあります。全力で行かせて頂きますね」 芯が強く、柔らかな声で、ナッツは言う。風が次第に収まり、男にしては長めの金色の髪が、少々の乱れを残して元の形に戻る。 ナッツは魔導書のページをめくる。 この本は、ナッツが幼少の時からの相棒である。勉強したことや、魔法を使うために不可欠な精霊を呼び出すために必要な紋様、契約の証が、ビッシリと書き込まれている。 小さなときに呼び出した精霊のページ。 強敵と出会ったときに使ったページ。 そして、祖国が危機の時にめくったページ。 どれもがナッツの経験であり、思い出であり、人生の歴史そのものであった。 (水の波風。この精霊かな…) この目の前にいる敵は、炎を得意とする。先ほどは風で吹き飛ばしたが、どうにもしっくりこなかった。おそらく、水の力も併せ持つ精霊の方が効果があるだろう。 相手も次の魔法を使う準備を整えているようだ。ナッツは、一足先に詠唱をする。 (この精霊は、明るくて、いつも一生懸命で…) 一度出会った精霊を、ナッツはちゃんと覚えている。姿かたち、話したこと、好み。思い出して、知らず、微笑む。 (いつもありがとう。私を助けてくれて…) ナッツの掌に、小さな掌がそっと重なる。久しぶりね、ナッツ。呼んでくれてありがとう。一生懸命手伝うからね。 鈴のような声を聴いた瞬間。 「アアアア!!」 その鈴が、割れるような声を出して消えた。 ナッツは、思い出に浸る思考を眼前に向けた。 「へ…へへへ…ざまあみろ…」 ナッツの手にあった、大切な魔導書。それが今、敵の炎で焼かれていた。 「あ…、あ…」 呆然と、手を放す。落とした勢いで炎はかえって強まり、ほかのページに燃え移る。 精霊は、魔導師と契約を結ぶ際、魔導書に血のサインをする。それは、精霊の命の一部であり、それが焼かれてしまうと、精霊は傷ついてしまう。 精霊が沢山の魔導師と契約するほどその傷は小さくなるが、この精霊は、ナッツの本に多くのエネルギーを渡しており、今、彼女の受けたダメージは大きいはずである。 「なんてことを…。魔導書に手を出すなんて…」 「なんだ?魔導師失格だって?ハッ、知らねえな」 精霊の力を借りて魔法を使う以上、魔導師共通に力を貸してくれる精霊に手を出すことは禁忌に近い。そのため、魔導師同士の闘いにおいても、相手の魔導書に手を出すのは、暗黙のタブーとされている。 「許せない…」 穏やかなナッツの表情が変わる。 普段、制御している感情があふれ出す。 ざわり。 波打つ心と裏腹に、静かな声でナッツは詠唱を始める。 ただ一つ。魔導書なく発動できる魔法。それは、それぞれの魔導師のためだけにある、唯一の魔法であり、最後の魔法。 「お、おい、お前まさか…」 ざわり。ざわり。 ナッツの心を知ってか知らずか、あたりの空気が動く。詠唱の言葉は低く続く。 「おいやめろ! お前、…死ぬぞ! こんな、精霊一匹のために死ぬのか!」 ぎらりとナッツの眼が敵を睨み付ける。 その下卑た男は、逃げようとして腰を抜かして、暴れる。 「や、やめろ…。やめろ…」 男は、記憶の中の言葉を思い出す。 この魔法は、あなたが天に召されるとき、お使いなさい。それまで、決して詠唱してはなりませんよ。 若くして死んだ、優しい母の声。 神様がくれた、あなただけの魔法。あなたのための魔法。この世界の魔導師ならば、みんながこの魔法を持っているのよ。 諭すように、幼い俺に言った言葉。 これを使えば、あなたの命は終える。でもね、その代わり… そのあと、母は何と言っただろうか。とにかく、とても大きくてすごい魔法であると、幼心に刻んだ。 目の前の、ナッツという魔導師は、命をかけてその魔法を紡ぐ。 空気がざわめき、天が揺れる。男は思った。この魔法は、おそらく、男の命を終わらせるほどの威力は、どう見積もってもあるはずだ。 ナッツが、小さく、言葉を終える。 詠唱は、これで終わり。 さて、何が起こる? この続きを、男は知らない。 ちょっとしたテーマも追加。 ホントはゲームにしたいけど、やっぱこの世界観だとRPGにしたいし、それは私の技術では難しいのでとりあえず小説で。 今のところ話に明るさがなくなってますね。イカンな(笑) お付き合いいただけると幸せです。 -2015 08 09 アザナ- |